日本の結婚式では、新郎新婦が「誓いの言葉」を読み上げるのが一般的です。
キリスト教会式では牧師(神父)の問いかけに「はい、誓います」とお答えするのですが、神前式においては、自ら「誓いの言葉」を読み上げます。
この「誓いの言葉」を読み上げる意味、意義をご存知ですか?
神社は「祈願成就」ではなく「誓願成就」する所です。
祈るだけではなく、「誓い」が必要なのです。
岐阜護国神社の誓いの言葉に例えるなら
今日の良き日に かしこき大前において 結婚式を挙げることの出来ました事を 心から感謝し 今より後は 大神様のお守りのもとに
相和し 相信じ 苦楽を共にし 終生変わらぬことをお誓い申し上げます
と、これから先は夫婦として「相和し 相信じ 苦楽を共にし 終生変わらぬ事を」二人が誓い、その意思を読み上げるのです。
それでも、不足の事態が起きた時には 神様の御心を頂いて、添い遂げられる様お願いしているのです。
二人が この「誓約」を守っていれば、夫婦として生涯寄り添い生きていく事が出来るのです。
その「誓約」を自ら破るような事があれば、亀裂が生じるのは当たり前です。
神前結婚式では 神様に二人の愛を誓うのではなく、二人の誓いを神様に見守っていただき、その意思をお伝えするのです。
読み上げた「誓いの言葉」は、神様との「誓約書」になるのです。
和ごころ結婚式「いとむすび」では、神様ではなく、ご縁で結ばれた大切な皆様に見守られ、二人が永遠の愛を誓い
皆様に対して「誓いの言葉」を読み上げ、それが「誓約書」となるのです。
誓いの言葉
本日 私たちは大切な皆様に見守られ
結婚式を挙げる事が出来ました
これから先は 両親から授かった
愛 と 夢 を何よりも大切にし
夫婦として二人で人生を歩んで行く事を誓います
○○年○○月○○日 新郎○○○○ 新婦○○
読み上げたこの誓いの言葉を常に心の中心に置き、夫婦として人生を歩んで行く事を誓うのです。
その誓いを裏切るという行為は自らを裏切る行為でもあり、ご縁で結ばれた大切な皆様と交わした「誓約」を破る。という行為となるのです。
完璧な人は存在しません。
つまづいたり、パートナーを傷つけてしまう事もあるでしょう。
その時に この「誓約」をもう一度心に誓い、見守ってくれた人に助けられ、支えられ、夫婦として成長していくものだと思います。
神様は直接手を差し伸べてはくれません。
しかし、人は手を差し伸べてくれます。
そんな手を差し伸べてくれる人の前で永遠の愛を誓うのが、和ごころ結婚式「いとむすび」です。
それが、人前結婚式の一番素晴らしい所です。